三月十一日
東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
被災されたみなさまには心よりお見舞いを申し上げます。
「その日」から一週間が経ちました。
「ふたたび 三月十日」の記事を書いたその翌日に、さらに大きな忘れ得ぬ日が来ようとは思ってもみませんでした。
今はまた原発が心配なことになっていますが、現地で必死に頑張っていらっしゃる方々のことを思うと祈るような気持ちで推移を見守るばかりです。
当日の私のまわりのことについて少し記します。
わが家はどちらかと言うと高層階にあり、とても長い大きな揺れを感じました。
怖かった。
揺れが少し収まってから、小学校へ孫を引き取りに行きました。この子の母親(私の娘)は結局、この日都心の会社に泊まりました。
しばらくしてから、やっとのことで連絡がとれたもう一人の娘に頼まれ、帰宅難民の流れに逆らって(タクシーにしばらく並んだけれど途中であきらめて)自転車で1歳半の孫を保育園に引き取りに行きました。
よくわからない暗くなった道を尋ねながら、一人にしてはおけない小学生の孫も一緒に自転車で走りました。
保育園に着いたのは午後8時。家を出てから2時間以上が過ぎていました。
職場にスニーカーを置いてあったという娘は、(都心から休まず歩いて)思いのほか早く22時過ぎに家に戻り、私は、いつまでも子どもだと思っていた娘の「母は強し」の一面を見た思いがしました。
小さいお子さんを持つ被災地のお母さんたちのことを思うと、居ても立っても居られない思いです。どうか、もう少しの間、持ちこたえてくれますように。
そういえば、保育園を出る時に泣き出した孫に、思わず「あっ、お月さまがきれいね~」と言うと、空を見上げてすぐに泣きやんだことを今思い出しました。
この日、夜空には、細い月が何事もなかったように輝いていました。
* * * * * * * * * * * *
「東北の人々を強い人といってさしつかえあるまいが、それは豪胆とか強靭といった類の強さではなくて、終わりのない寂寥の日々を潜り抜けて生き抜く、耐える勁さである。その資質は、ひょっとして、蓑をまとって通学した母たち、雪国の人々の伝えるものであるのかもしれない。」
折しも読んでいた本『清冽 詩人茨木のり子の肖像』※の一節です。東北の人々の所には本来、茨木のり子が入りますが…。
粘り強い東北の方々の力を信じ、私たちも最善を尽くしてこの困難に立ち向かっていかなければ、と、思います。
※後藤正治著『清冽 詩人茨木のり子の肖像』中央公論新社2010.11.
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palletさん
あれから一週間・・・余震も続いているし
何より原発が心配だし心の晴れない毎日ですね・・・
地震当日はpalletさんも大変な思いをされたんですね
自転車で2時間お疲れ様でしたね
山で培った体力が物を言ったかな(^^)
娘さんも歩いて帰宅・・・母は強しですね
二人の保育園児の母である弟のお嫁さんも都心から練馬の自宅まで
自転車で帰宅したとか・・・みんな感心ですね!
東北の寒さはきっと厳しいことでしょうね
何か出来ないかと毎日考えています
どうしても憂鬱になってしまうけれど
私達が元気を出さなければですね
投稿: 矢車草 | 2011年3月18日 (金) 18時33分
茨木のり子さんのお母様と同郷です。ここ庄内は初めの揺れは大きかったのですが、落ちた物も割れた物も皆無でした。停電も全くありません。東北の太平洋側の被災者の方々はもちろん、パレットさん始め、首都圏に暮らしていらっしゃる皆様に申し訳ないような気持でいます。2001年9月11日のニューヨークの姿を知った時、「世の中には考えてみないことが起きることもあるのだ」と肝に銘じたはずですが、1週間前まですっかり忘れていました。もう一度しっかりと肝に銘じつつ、♪ケセラセラなるようになるぅ♪と唱えて、今日の天気と健康を楽しもうと思っています。
投稿: | 2011年3月18日 (金) 22時19分
こんばんは。
❀矢車草さん
小さいお子さんのいるお母さんのことが、とても気にかかります。
共働きのお宅のお子さんはどうしているだろうと思います。
まだ両親と会えない子どもたちもいるはずです。
ほんとうに、胸がつぶれる思いです。
ご無事で何よりでした。
わが家の地区は、きょうは18:20~22:00の予定で計画停電に当たっていました。
実際は19:00~21:00くらいの2時間ほどでしたが。
停電になると、マンションのエレベーターが使えなくなり、一時間ほど経過すると階段室と外の非常階段の非常灯も消えてしまいます。
おまけに水道も電気で上階まで上げているらしく、水も出なくなってしまいます。
私は山歩きで少しは鍛えているので?何とかなります?が、やはり日常生活が普通ではないのは疲れます。
被災地のみなさまの御苦労・ご心労やさぞかしと思います。
投稿: pallet | 2011年3月18日 (金) 23時41分
(しっかり者と評判の)私が、名前を書き忘れたようでごめんなさい。これは加齢のせいなのか、はたまた大地震の余震の一種なのか・・・。
4月からの山行に備え週2回体操に行ってたのですが、その体育館が避難所になってしまいました。ガソリンも手に入りにくくなっているので、神々しい月山や鳥海山の姿を眺めながら、ママチャリとウォーキングでトレーニングしようと思っています。首都圏で通勤する方々、のん気なことを言ってごめんなさい。
投稿: シイナビッチ | 2011年3月19日 (土) 09時25分
ほんとはすごく心配してるのに
こんなときにこんなコメントよこすのは
シイナビッチさんしかいないと思ってました
私も肩の力を抜いて過ごさなくっちゃと
反省し(って、まだ力入ってるね)
投稿: pallet | 2011年3月19日 (土) 11時22分