« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »
大震災から二週間。
なにごともなければ、今夜は久しぶりにコンサートに行っているはずでした。
渦中にあってコンサート(モーツァルト・トリオ)は中止になりましたが、
主催者からの手紙には、海外からの演奏者カントロフ(フランス)とメンデルスゾーン(オランダ)の二人にそれぞれのお国から渡航許可が下りなかったから…との理由が書かれていました。
東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
被災されたみなさまには心よりお見舞いを申し上げます。
「その日」から一週間が経ちました。
「ふたたび 三月十日」の記事を書いたその翌日に、さらに大きな忘れ得ぬ日が来ようとは思ってもみませんでした。
今はまた原発が心配なことになっていますが、現地で必死に頑張っていらっしゃる方々のことを思うと祈るような気持ちで推移を見守るばかりです。
当日の私のまわりのことについて少し記します。
わが家はどちらかと言うと高層階にあり、とても長い大きな揺れを感じました。
怖かった。
揺れが少し収まってから、小学校へ孫を引き取りに行きました。この子の母親(私の娘)は結局、この日都心の会社に泊まりました。
しばらくしてから、やっとのことで連絡がとれたもう一人の娘に頼まれ、帰宅難民の流れに逆らって(タクシーにしばらく並んだけれど途中であきらめて)自転車で1歳半の孫を保育園に引き取りに行きました。
よくわからない暗くなった道を尋ねながら、一人にしてはおけない小学生の孫も一緒に自転車で走りました。
保育園に着いたのは午後8時。家を出てから2時間以上が過ぎていました。
職場にスニーカーを置いてあったという娘は、(都心から休まず歩いて)思いのほか早く22時過ぎに家に戻り、私は、いつまでも子どもだと思っていた娘の「母は強し」の一面を見た思いがしました。
小さいお子さんを持つ被災地のお母さんたちのことを思うと、居ても立っても居られない思いです。どうか、もう少しの間、持ちこたえてくれますように。
そういえば、保育園を出る時に泣き出した孫に、思わず「あっ、お月さまがきれいね~」と言うと、空を見上げてすぐに泣きやんだことを今思い出しました。
この日、夜空には、細い月が何事もなかったように輝いていました。
* * * * * * * * * * * *
「東北の人々を強い人といってさしつかえあるまいが、それは豪胆とか強靭といった類の強さではなくて、終わりのない寂寥の日々を潜り抜けて生き抜く、耐える勁さである。その資質は、ひょっとして、蓑をまとって通学した母たち、雪国の人々の伝えるものであるのかもしれない。」
折しも読んでいた本『清冽 詩人茨木のり子の肖像』※の一節です。東北の人々の所には本来、茨木のり子が入りますが…。
粘り強い東北の方々の力を信じ、私たちも最善を尽くしてこの困難に立ち向かっていかなければ、と、思います。
※後藤正治著『清冽 詩人茨木のり子の肖像』中央公論新社2010.11.
3.21 40000
私にとって3月10日はちょっと特別な日。
六二三 八六八九八一五 五三に繋げ 我ら今生く
これは昨年の朝日歌壇の入選作から選ばれた第27回朝日歌壇賞の1首です。
今年1月31日の「天声人語」は、この歌を紹介した後
「忘れ得ぬ日々。意味不明を言う若者の少なきを願いつつ。」と締めくくられていました。
私はこの数字列に三一〇を加え…たら…短歌にはならない…か 。
「仏教伝来の道/平山郁夫と文化財保護」展へ行ってきました。
久しぶりの東京国立博物館です。
きょうのお目当ては、薬師寺玄奘三蔵院伽藍の大唐西域壁画殿に安置された全七場面の壁画のうちの「西方浄土須弥山」。
平山氏が高山病に苛まれながらもエベレスト・ビューへ登り構想を練ったという迫力ある大壁画です。
濃い青で塗られた空。
目を凝らして見ると、雪煙が舞っていると思われるヒマラヤの白い頂。
氷の壁、急峻な尾根、深く刻まれた山肌、はるか下に見える谷…。
見る者に、いま自分もエベレスト・ビューにいるかのような錯覚を起こさせる圧倒的な臨場感です。
遠くから眺め、近くに寄り、私はしばらくの間この絵にくぎ付けになってしまいました。
この展覧会は、上野の東京国立博物館平成館で3月6日(今度の日曜日!)まで開催しています。山好きのみなさんには見逃せない絵のように…思います。
【「西方浄土須弥山」部分(この写真はポストカード)】
最近のコメント