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9/17 受け容れる

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               樹の伝記        長田 弘

283_2  この場所で生まれた。この場所で

 そだった。この場所でじぶんで

 まっすぐ立つことを覚えた。

 空が言った。――わたしは

 いつもきみの頭のすぐ上にいる。――

 最初に日光を集めることを覚えた。

 次に雨を集めることも覚えた。

 それから風に聴くことを学んだ。

 夜は北斗七星に方角を学び、

 闇のなかを走る小動物たちの

 微かな足音に耳をすました。

 そして年月の数え方を学んだ。

 ずっと遠くを見ることを学んだ。

 大きくなって、大きくなるとは

 大きな影をつくることだと知った。

 雲が言った。――わたしは

 いつもきみの心を横切ってゆく。――

 うつくしさがすべてではなかった。

 むなしさを知り、いとおしむことを

 覚え、老いてゆくことを学んだ。

 老いるとは受け容れることである。

 あたたかなものはあたたかいと言え。

 空は青いと言え。

           
    長田 弘 『人はかつて樹だった』
        (みすず書房 2006刊)より。

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                                きょうは、 「敬老の日」。

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コメント

老いるとは受け容れることである。
困ったなぁ・・・ ちょっとわかる気がするお年頃です。
少年も青年も壮年も老年も、それぞれにステキな年代なのに
今の日本では、老年期だけが特別嫌われている気がしますね。

ゆきさん? が小人に見えちゃいました (^^;)

★おやっ?
この老木の側に佇む後姿には見覚えがあるような気がする。
(実際この眼で見たことはないけど)
あらま、光栄です。
私もこの樹のように生き、老いていきたい。
 
ところでこれ、どこ?

長英新道?

✿はなねこさん
私は自分の人生の中で、いまがイチバンいいかなぁ。
で、長田さんは新しい詩集の中の一節にこんなことも書いてます。
「……、そして、考える。あくせく一生かけて、
人は一本の木におよばない時間しか生きないのだと。」と。
老いもそして若きも、その時々を受け容れて、
わずかな時間を繋ぎながら生きているのではないかしらと思います。

snow ゆきさん
この写真は一度登場したことがあって
その一部をトリミングしたものです。  down
http://pi-su60.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/927-2251.html
   
惜しい!
長英新道ではなくて、見晴新道。
もうすぐ見晴に出るばかりのところです。
いつもモデルになってもらって…ありがとさんです。

palletさん、おはようございます。
沁みますねぇ・・・この詩。
「老いるとは受け入れること」
読む人によっていろんな意味を持つ言葉ですね。
特に何歳が老い、と言うわけではなく、30歳を過ぎた頃から年齢と言うものを意識し、
いろんな場面で感じてきたように思います。(私は)

「受け入れること」
今日はとても素直に受け止められます(*^_^*)

今晩は。
こんな風景の所を歩いて来たばかりでした、
同じようなことを考えながら・・・。
  
     木漏れ日が水滴のように落ちて来て
     胸の中にあたたかな水だまりをつくる
     何処にも居ない人が、そこに居る
     微笑んで、いつも無言で
     奥つ城の木の下に

                    私もそんな歳になりました。

いい詩ですね。
素直で、穏やかな気持ちになれました。

palletさんの人生の中で、今がイチバンいいかも、なのですね。
幸せを感じている人をみると、私も幸せを感じます。
「幸せの伝播」~~~。

✾cyu2さん
素直でよろしい happy01

>読む人によっていろんな意味を持つ言葉ですね。
>特に何歳が老い、と言うわけではなく、
ほんとにそうですね。
「老い」というとマイナスイメージが思い浮かぶことが多いですが
「素敵に老いる」っていうこともありますよね。
なんでも受け容れられる懐の大きいヒトになれたらと思うけど
これが、やっぱりなかなか難しいかなぁ coldsweats01

art インレッドさん
森の中を木漏れ日を浴びながら歩くことほど
心落ち着くことはないような気がします。
「胸の中にあたたかな水だまり」ができるからだったのですね。
インレッドさんの詩は、いつもこころに響きます。

cherry アイさん
おや、アイさんも素直に…
私も、またしみじみ読み返してみちゃいました。
  
実を言うと、最後の二行の「言え」という命令形が
何度読んでも何となくしっくりとこないのです。
私だったら「言う」としたような気がするのですが
それでは、印象も意味合いも違ってしまうかしら…。
どなたか教えて。

おっと、私のいたずら書きが「幸せの電波…じゃなくて伝播」
だなんて、ちょっと嬉しい。ありがとう♪

★こんにちは。ワタクシのささやかな感想。
 
>私だったら「言う」としたような気がするのですが
>それでは、印象も意味合いも違ってしまうかしら…。

この転換がこの詩にさらなる深さを与えている、ような気がする…
形の上でも、意味の上でも。
この老木にしてなお自戒も込めて。
そして自分のほかにも何かに呼びかけることで
それまで独り言のような内側に向かっていたベクトルを
外に解き放つ、みたいな…
 
とか、なんとか。

★追伸

>この老木にしてなお自戒を込めて。
これは言い過ぎかも。
 
ともかく、命令形というより呼びかけって感じた。

★またまた追伸。
さっきからこの詩とニラメッコしてるんだもの。
 
その前の一行も大事じゃないかな。
それまで「学んだ」「なかった」「言った」ってずっと過去形できたのが、
ここで「受け容れることである」と現在形に変わった。
この転換。

★これで終りにしようっと。
ご飯の時間…

>そして自分のほかにも
主語を「自分」と「限定」してしまうのも惜しいかな。

これは「樹の伝記」。
>この場所で生まれた。
>この場所でそだった。
ことに初めのうちは履歴定型の人称曖昧だし。

少しずつ視点が動いている捉え方もできそう。
最後の三行も。


snow ゆきさん
3っつもコメントはいってるからびっくりしちゃった。
いやはやいやはや wobbly
         
え~っと  
私も、最後の3行で大転換していると思います。
で、「読み手」の私としてはここからのベクトルを
むしろ内側に向けたくなるわけ。
>老いるとは受け容れることである。
と言うことを受容して、
美しいものは美しいと言い、青い空は青いと言う
と、はっきり「自分」の意志を示したいところかな。
主語を「自分」と「限定」してしまうのは惜しいとしても。
   
でも、そうすると印象としてすごく弱くなるから、
「書き手」とするとそうはいかない。
ゆきさんが言うように命令形ではなくよびかけ。
私もそう感じた。
でも、ちょっと唐突な感じが否めない。
  
…って、ついつられて書いちゃった。
このままだと、こんどの山行きの休憩時間に延々と話してて、
先に進めなくなりそう。
どうしよ~ coldsweats02
で、夕ご飯は無事すんだの?

★晩御飯済んだら、
呼びかけの印象はどこから来ているか気になったことがあって、
また来ちゃった。
 
「言え」という形だけでなくて、
「言う」という行為自体が外に向かうものじゃないかなって。
「受け容れる」がinなのに対して。
それをバネにして――― 跳んだ。

なんだかメチャクチャになった。
我ながら呆れて、もうおやすみなさいっ。

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