南米へ⑧10/17・18 クスコ(ペルー)
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* * * * * 10/17・18 世界遺産の町クスコ * * * * * * * * * * * * * * *
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アルマス広場を中心にして広がるクスコの町。
漆喰で塗られた壁と赤瓦の家々は、インカ時代の強固な石組の上に建てられています。
16世紀後半スペイン人の侵略に会ったものの破壊されることなく残った強固な石組。
そして、侵略された後にその石組の上に新たに建てられたスペイン風な家。
町を歩くと、歴史の証言がなんの不思議もなく目の前に次々と現れます。
南米へ⑦はこちらから。
ちょっと時間を巻き戻します* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
10/14
午前10時、リマ(ペルーの首都・海辺の都市)からの国内線でクスコ(標高3400m)に到着。
この日は高度順化のために、より標高の低いウルバンバ(約2700m)へ移動することになっていました。
クスコ空港に着くとすぐに、クルマでウルバンバへ向かいます。
空港の駐車場へ行くのにも「高山病の心配があるのでゆっくり歩いてください」との指示。
なんせ標高0mから飛び立ち、一挙に3400mへ降り立ったのですから。
クルマの中から見かけた、野菜を売るおばあさん。
なんだかかわいい♪ いかにもイメージ通りのペルーの女性の普段着です。
いよいよペルーにやって来たんだ、ということを実感します。
クルマは町なかを抜け、大きなキリスト像(クリスト ブランコ)の立つ丘の上にやってきました。
ここからはクスコの町が一望できるのです(トップの写真)。
クスコの町の全体像を把握したら、今度こそ一路ウルバンバへ向かいます。
民俗衣装の子どもたちと写真を撮り、ひとまずクスコに別れを告げましょう。
10/14 ウルバンバ「聖なる谷」,ピサク市場など (オヤンタイタンボ泊)。
10/15 インカ道を歩いてマチュピチュへ (マチュピチュ泊)。
10/16 マチュピチュ遺跡
10/16 ワイナピチュ山登頂,マチュピチュ村など (マチュピチュ泊)。
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10/17
朝、マチュピチュから列車でオヤンタイタンボへ戻り、ホテルに預けておいたトランクを受け取ってクルマでクスコへ向かいます。
途中で通ったチェンチェイロの風景(南米へ①既出)は、今回の旅行でいちばん私のこころを捕えた風景でした。
茶色のグラデーションで彩られたパッチワークのような畑のはるか彼方には、ぐるりとアンデスの山々が見えるのです。
なんと雄大で素敵な景色なんでしょう。
ところが驚いたことに、運転手さんの話によればここには6年後、手狭になったリマ空港の代わりに新しい国際空港ができるとのこと。
よその国のことながら、人間はなんと愚かなことをするのだろうと………
お昼にクスコに着きました。ホテルにチェックインしたらさっそくランチにでかけます。
きょうの昼食のメインは、日本人サイズのチキンカツ(ちょっと「ほっ」としたりして。衣は粟かな?おいしかった)。
さすが観光産業のまち。
このレストランには色々な国の国旗が用意されていて、お皿の角にはケチャップでPeru´とありますよ♪
さて、ひと休みしたら町をぶらぶらしてみましょう。 写真はクリックで拡大します。
歩道の所々で、こんな方向指示版を見かけました。
クスコの町はピューマをイメージして造られたとか。
矢印の通っている窪みがアルマス広場なので、そこを支点にして方向を示しているのかもしれません。
夜は、フォルクローレのディナーショーへ。
ディナーと言ってもブッフェスタイル。
ここで私はペルー名物の「クイ(モルモットのようなねずみ) 」のローストとシチュウを食べてみました(ほんの少しずつね) 。
お味は…う~~ん。
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10/18
きょうはおもに、クスコ郊外の遺跡を見学して歩きます。
まずは、インカ軍2万人とスペイン人が戦った要塞跡と言われているサクサイワマン遺跡にやってきました。
ここでは現在、6月の冬至(南半球ですからね )の日に「インティライミ(太陽の祭り)」という盛大なお祭りが開かれるそうです。
絵のような青空と白い雲を背にしたたおやかな山並み(丘?)に囲まれて、稲妻のようにギザギザを描く3層になった巨石が360mも続いています。
当時、あの上には三つの建物が建てられていたとのこと。
石の大きさがわかるでしょうか。
一番大きなものは、高さ5m、重さ360t とか。
鉄も車輪も持たなかったと言われるインカの人々は、どこからどのようにしてこの巨石を運んだのでしょう。
「人力」って言うけれど…それにしたって想像を超えています。
インカの石組は「カミソリの刃一枚通さない」と言われますが、
表面だけでなく内部も隙間がないように複雑な組み方になっているんですって。
ただただ驚くばかりです。
次には、富士山並みの標高にあるタンボマチャイの遺跡を訪ねました。
ケチュア語で、タンボは宿泊施設、マチャイは休息所。
ところで…富士山は、もう初冠雪してましたよね?
下段真ん中辺に流れ出ている水は「聖なる泉」と呼ばれて、雨季も乾期も一年中同じ量が流れているのだそうです。
サイフォンの原理が使われているらしいのですが、どこから来ているのかは未だに謎とのこと。
ここでも、インカの人々はすごい土木技術を持っていたんだとびっくりさせられてしまいます。
【ペルーの学制は、小学校(6年),中学校(5年),大学(5年)】
こちらは、遠足に来ていた中学生たち。
ギャザースカートの下にレースの縁取りのペチコートを履くのが、この民俗衣装の定番のようです。
中学生はもちろんのこと、フェルトのつば帽子(これも定番)を被ったおばあさんがこれを履いているところは、ほんとうに可愛らしくて素敵
お土産屋さんでは、店番をしながら男性が編み物をしていました。
そういえば、タキーレ島という島では女性が糸を紡ぎ男性が編み物をすると聞いた覚えがありますよ。
もしかしてこの方は、タキーレ島の出身なのかしら?
市街地に戻ります。
きょうも一緒のガイドのフスさんが、ぜひ見てと言いたげに「これはクスコの花です」と教えてくれたカントゥータの花。コリカンチャの広場脇に咲いていました。
さっそくそのコリカンチャを訪ねます。
インカ時代にはなにもかもが黄金に輝く神殿だったというサント・ドミンゴ教会、別名コリカンチャ(コリは黄金、カンチャは場所)。
侵略してきたスペイン人が黄金を持ち去り、土台だけを残して(というより強固で破壊できなかった?!)上部に教会を建てたのだそうです。
(左)いま残る石組の中で一番小さな石とか。
(右)こんなにわずかな窪みもカーブに沿わせて石を削っている。
ほんとうに「カミソリの刃一枚通らない」。
鉄も持っていなかったインカの人々は、より堅い石(隕石ではないかと…)を道具として使っていたのでないかと考えられています。
それにしても…
サント・ドミンゴ教会の回廊。
内部はすっかりスペイン風です。
でもいま、まちの所々にはためくのはインカの旗。
家並みの漆喰の下壁に見えている石組も、たぶんインカ時代のものなのでしょう。
有名な「12角の石」のあるハトゥンルミヨック通り。
写真右側の宗教美術博物館の外壁に、その石は埋め込まれています。
12角の石。
アルマス広場にやってきました。
シンメトリーな建物は、カテドラルです。
内部はとても豪華とのことですが、ここに飾られている「最後の晩餐」の絵の料理には、例の「クイ」の丸焼が描かれているのだそう(見たかった )。
カテドラルと向かい合うように建っているのは、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会。
空に向かって伸びあがるような姿がとても印象的な建物でした。
女性たちのカラフルな衣装も素敵。
アルマス広場は、レストランやお土産屋さんなどになっている回廊のある建物に囲まれていて、ここもすっかりスペイン風です。
夕食後、アルマス広場からほど近いホテルから散歩に出てみると、丘の上に立つ家々の灯りがきれいでした。
あっ…あれは(青楕円の中)?!
最初にクスコにやって来た日に行った丘の上のキリスト像(クリスト ブランコ)が、ライトアップされているのでした。
明日は首都リマへ向かい、ひと休みしてからいよいよ帰国の途に着く予定です。
(クスコ市内泊)。
南米へ⑨へ続きます(こちらから)。
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